【北アルプス撮影記】   奥穂高岳・ジャンダルム・涸沢カール  (前編) 

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2023年8月、憧れの山であるジャンダルムの登頂と撮影を2泊3日で行いました。昨年の北アルプス縦走で予定していた表銀座縦走からの穂高連峰縦走が、悪天候により槍ヶ岳で途中撤退を余儀なくされ、1年越しで再挑戦。

行程・機材

今回は上高地から岳沢を経由して奥穂高岳へ登るルートを選択。1日目は穂高岳山荘でテント泊し、2日目はザイテングラードを下り涸沢カールでテント泊、3日目に横尾経由で上高地へ戻る計画とした。

前回は行程が長く食料などの荷物が多くなり撮影機材はEOS R5とRF24-105mm F4Lだけ持って行ったが、今回は2泊3日と短く星の撮影も行うため三脚とRF15-35mm F2.8L、撮影範囲を拡げるために軽量でコンパクトなRF100-400mm F5.6-8を選択。それでもテントやシュラフなど大荷物なので85Lザックのグレゴリーのバルトロ85がパンパンになり、水を入れると20kg近い重量になった。

1日目:さわんどバスターミナル

【0:00】バスターミナル隣接の駐車場到着。大型連休初日ということもあり、既に駐車場の8割は埋まっている状態でAM2:00には満車になった。岩手を出発したのが前日の昼前なので途中何度か休憩したとはいえ車で12時間走行すると中々疲れる。少しでも体力を回復する為、始発バスの時間まで仮眠。

【5:00】チケット売り場へ行くと既に長蛇の列。いくらバスがピストン輸送してるとはいえかなり時間がかかりそう。結局バスに乗れたのは1時間以上経ってからだった。

上高地

【7:00】上高地バスターミナル到着。毎度のことながらバスへ荷物を積み降ろす係の人が自分のザックを手にした途端に顔を歪めるのを見ると申し訳ない気持ちになってくる。バスを降りると快晴の青空の下、既にたくさんの登山者達が出発の準備を始めていた。

この上高地の情景が北アルプスに来たという実感が一番湧く瞬間かもしれない。いつ来ても美しいエメラルドグリーンの梓川と眼前に広がる穂高の山々に胸を躍らせ岳沢登山口へ。

岳沢小屋

自分にとって今回が初めて岳沢ルート。時間と体力に余裕をもって岳沢小屋テント場で一泊するという選択もあったが、好天が続く2日間の撮影チャンスを逃すわけにはいかないので、多少ハードな行程になってでも穂高岳山荘を目指すことにした。

【10:00】2時間30分ほど樹林帯を登り岳沢小屋到着。北アルプスへ来るといつも山小屋には感動させられる。自分が登る東北地方の山々は殆どが無人の避難小屋であるため、水や食料、寝具類は全て自分で運ばなければならない。飲み物が売っているだけでも嬉しいのに北アルプスの山小屋は美味しい料理がたくさんあるので、山小屋食べ歩き縦走をしてみるのも面白いと思う。

この岳沢小屋は上高地を一望できるテラスでカレーやパスタなどの人気メニューを頂くことができ、この日は快晴で多くの人が優雅にテラスでカレーを食べながらビールを飲んでいて心底羨ましかった。ここから先は穂高岳山荘まで一切の補給ポイントが無く、長く険しい道のりが続くので30分ほど休憩し水の補充をして出発。

重太郎新道・吊尾根

岳沢小屋からいよいよ急登が続く重太郎新道へ。見上げた先に広がる穂高の稜線は巨大な壁のような圧倒的存在感で、これから大荷物を背負ってあそこまで登るのかと思うと気が遠くなる。

すれ違う人達に「そんな重装備で登ってくる人滅多にいないのに凄いな、これから先は辛いだろうけど頑張って」「そのペースだと着く頃にはテント場埋まってると思うから小屋の予約をした方がいい」などと励ましと不安になる言葉をかけてもらいながら急峻な登山道を黙々と登って行く。

カモシカの立場へついた頃にはかなり体力を消耗し、昼食をとりながら1時間ほど休憩することにした。この先の岳沢パノラマや雷鳥広場でも長めの休憩をとりながらのんびり撮影をしていたため、紀美子平へ着く頃には15時になっていた。

この重太郎新道という登山道の名称は1925年、白出乗越に穂高小屋(現在の穂高岳山荘)を建設した今田重太郎が登山者が安全に穂高へ登れるようにと生涯をかけて登山道を切り拓いたことに由来している。

前穂高との分岐点にある紀美子平は、登山道整備の際に重太郎が家族と共にテントで過ごしていた場所であり、養女として迎えた娘の紀美子から名付けられた場所なそうだ。こんな険しい場所に穂高への道を切り拓いてくれた重太郎氏や現在も維持管理している穂高岳山荘の方々には本当に感謝しかありません。

2023年は北アルプスでの滑落事故が多く、特に前穂高から奥穂高にかけての吊尾根では死亡事故が多発していた。

吊尾根は慎重に歩いていればそこまで危険な道ではないが、重太郎新道で体力と集中力を使い切ってしまうと少しのミスで滑落してしまう場所でもある。紀美子平に着いた時点で水分も底をつき、体力を消耗し切っていたので奥穂高岳まで果てしなく続く吊尾根を牛歩で進んだ。

奥穂高岳

【18:00】コースタイムより大幅に遅れて奥穂高岳山頂へ到着し、重太郎氏が積み上げたという大ケルンと祠を拝む。やっとの思いで登ってきた奥穂高岳周辺はガスで覆われ何も見えず。体力も限界を迎え、人の何倍も汗をかく己の体質を恨めしく思いながら大の字で寝転んだ。

いっそ雨でも降ってくれないかなとか今日はここでビバークでもしようか、そんなことを考えていると1人の登山者が現れた。話しかけてみると前日に日本へ来た韓国人の方で、昼に上高地へ着いて岳沢から登り穂高岳山荘に宿泊するそうだ。持っている水が尽きたという話をすると快くゼリー飲料を譲っていただき、心の底から感謝しました。

すっかり仲良くなりしばらく談笑しながら記念撮影をしていると、ガスが消え夕陽と共にジャンダルムが目の前に現れた。

短い時間ではあったが、ずっと憧れてきた初めて見るジャンダルムの姿は言葉を失うほど圧倒的な存在感で禍々しくも美しかった。出番があるか怪しかった超望遠レンズは、夕日に染まった空に聳える槍ヶ岳を撮影することができたので初日から十分過ぎる活躍をしたと思う。

途中何度も険しいルートを選んだことを後悔したが、まさかこんな形で良い結果をもたらすとは想像もしなかった。撮影が終わり気づけば気力も体力もすっかり回復していた。

穂高岳山荘

【19:00】上高地から12時間、日も沈んで薄暗い中ようやく初日の幕営地である穂高岳山荘に到着。しかしテント場を覗くとどう見ても埋まっている。受付へ行って山小屋の方に聞くとやはり既に埋まっているそうだ。

テントを設営できるスペースがあればそこに張ってもいいと言うことで、ヘッドランプを装着して暗がりの中テントを張れそうな場所を探すことに。涸沢岳へ続く登山道付近の崖っぷちに辛うじてテントを張れそうなスペースを見つけ、多少不安ではあるが風もない穏やかな夜だったのでそこへテントを張ることにした。

受付を終えて水を汲み夕食の準備に取り掛かる。準備と言ってもジェットボイルでお湯を沸かし、アルファ米とフリーズドライ味噌汁にお湯を注ぐだけなのでとても簡単。

登山始めたての頃や子供が生まれる前は妻と一緒に凝った料理を作って楽しんでいたのだが、本格的に山岳写真を撮るようになってからは1gでも荷物を減らしたいので基本的に夏山でも冬山でもアルファ米しか食べていない。

当初の予定では夜間にもう一度奥穂高岳へ登りジャンダルムに掛かる天の川の星景写真を撮るつもりだったが、思いのほか披露しており機材を背負って歩く力も残っていないので、無理はせず諦めて翌日のジャンダルム登頂に備えてゆっくり休む事にした。

それでもせっかくの天体撮影日和で三脚も持っているので何か撮ろうと思い、星の状況を確認するためテントから顔を出すと、なんと目の前にジャンダルムと天の川が。テントを設営してる時は全く気が付かなかったが、仕方なくテントを張った小高い崖っぷちは特等席だったようだ。

今回思いがけない景色に2度も出会うことができたのも重い荷物を背負って重太郎新道を登ってきたからであり、もし涸沢から登っていたら見ることができなかっただろう。今回のジャンダルム遠征の成功を確信し、星空を眺めながら眠りについた。

後編へ続く

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佐藤 徹

1986年岩手生まれの岩手在住。 東北の山々や自然風景、鉄道情景を撮影しているフォトグラファー。 日本山岳写真協会会員

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